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2007年春
新たなマシンで畑を管理



去年は今までで一番と言えるくらい畑をおろそかにした年でした。
果樹に肥料もあげられず、草刈もあまりできず、カミキリムシに食われ
「もっ申し訳ない」と果樹に謝りたい気持ちです。
そして細川家の土地を購入し、うーちゃんが生まれた年に植えたポンカンを抜くことになりました。
「ごっごめんなぁ」
細川家のポンカンは完熟してからの収穫で何日か前に子供たちと収穫を楽しみました。
手をかけない分、お味は普通。
とりあえずポンカンは自家用2本ばかり残し、抜いた後は嫁さん夢のガーデニングスペースへと変わる予定でいます。
綺麗なお庭になるといいな。嫁さんがんばって・・・・。



新たにダンナの助っ人マシンがやってきました。その名も「ハンマーナイフモア?」・・・・。
簡単に言うと草刈機です。しかっし、普通じゃないのです。
鉄の杭が回転して頑固なススキも小枝も木っ端微塵に粉砕され畑の肥料となってしまうのだぁ。
操作も慣れてきましたが、こんなマシンに轢かれたらダンナがミンチになってしまう。
安全装置(紐を引き抜くとエンジンが止まる)を身体に結んでの作業なのです。
あんなに大変だった草払いもハンマーナイフのおかげで楽になり、畑仕事が楽しい。
作業後の畑は気持ちが良い位にきれいになります。もう草は怖くないぞっ。



念願のユンボの働きは凄まじいです。今まで手が付けられなかった岩だらけの場所もガッシンガッシン岩を掘り起こし使える畑の面積がだいぶ増えてきました。人力ではとても無理だった作業が短時間で工事完了です。ただ少しの段差や斜面では恐ろしいほどバランスが悪いので慣れと限界を知るのが必要なのが分かって来ました。今では操縦も板についてきて「安心して見れるようになった」と嫁さんに言われるようになりましたがやはり怖い作業では無意識のうちに歯を食いしばっているので歯が痛くなるんです。ユンボくんこれからもよろしく頼みます。


2006年秋・細川家のバンジロウ



バンジロウとはグワァバのこと
屋久島ではバンジロウと呼ぶのをよく耳にする。屋久島では秋の味覚。
細川家のバンジロウも今年は沢山の大きな実をつけて楽しませてくれました。
今年のは甘みが良かったのでおやつに大人気。
しばらくは熟したものだけ毎日収穫に行くのです。毎日見に行かないと熟す速度が速いのであっという間に鳥に突かれたり、虫が入り込んでしまうのです。

ある日バンジロウを収穫に行くときれいに中身だけ食べられて、皮だけが木の周りに落ちていた。
「やられたー猿が来てるね」
嫁さんにその話をしたら
「あっそれ私ぃ」
ダンナ「えっ、あなた猿みたいに器用に食べるんだね」

犯人は嫁さんでした。
「だって美味しかったんだもん」とのことです・・・・・。

2006年春・細川家の畑



12月から4月に通過する低気圧の強風でビニールが破れたりビーニール紐が切れたりと1年経つといたんできます。風が弱い日を狙って修復作業を行いました。初めてのビニールハウスは「こうすればよかったんだ」と思うことばかりで勉強になりました。子供たちや近所の子も手伝ってくれるので助かります。


パッションフルーツは花が時計の文字盤のようなので時計草と呼ばれるつる性の植物です。

去年の五月に植えたパッションフルーツの苗ですが今年から本格的に実を付けるように選定を進めたので四月頃から成長を始めて今年五月には花芽が沢山でています。やはり植える時期は大事ですね。よく分かりました。去年はたった1つだけ実を食べました。今年は頑張ります。

選定したツルも新しい苗木として挿し木にして保管しています。来年はもう少しパッションフルーツを増やしていきたいとたくらんでいます。



ビニールハウスの中では夏野菜の苗を植えつけました。今年はゴーヤ、きゅうり、トマト、ミニトマト、ナス、ピーマン、スイカです。去年は秋まで収穫できたので今年も期待しています。

ネットを張っているのは、ビニールハウスの中に鶏とアヒルがいるので苗を食べられないようにしています。ビニールハウス内は雑草も少ないし、バッタなども少なく大活躍ですが野菜の苗も食べてしまうことも・・・・・・。

ビワの木

2003年冬に植えたビワ苗の第二陣がこんなに大きくなって実をつけるようになりました。去年の台風でだいぶ傷んだのに葉っぱもいっぱいで樹勢回復しました。今年も沢山のビワが収穫できそうです。無農薬、有機農法で頑張っています。有機肥料(油かす、魚粉)を与え、防虫などのため木酢液を300倍に薄めたもとニーム酵素2000倍液を木と土壌に散布しています。  

日向夏の木



2000年に植えた正体不明のみかんの木でしたが一昨年大きな実を付けたので食べてみると日向夏ということがわかりました。台風で葉が落ちてしまいましたが
樹勢回復して花を咲かせてくれました。
沢山の実は付けそうにありませんが少しは食べられそうです。低農薬(ガッドサイトSを根元に塗る)、有機農法で頑張っています。有機肥料(油かす、魚粉)を与え、防虫などのため木酢液を300倍に薄めたもとニーム酵素2000倍液を木と土壌に散布しています。

タンカンの木



2001年秋に植えてたタンカン苗が大きくなりました。台風で葉が落ちてしまいましたが
樹勢回復して花を咲かせてくれました。自家用くらいは収穫できそうです。去年と一昨年は鉄砲虫に食害されて数本のタンカンが枯れてしまい悔しい思いをしました。今年は食害の穴に黒蟻が巣を作るという現象が起こり葉が黄色く変色してしまっています。蟻は駆除してもまたすぐに増えてしまいます。とても厄介なやつです。

低農薬(ガッドサイトSを五月根元に塗る)、有機農法で頑張っています。有機肥料(油かす、魚粉)を与え、防虫などのため木酢液を300倍に薄めたもとニーム酵素2000倍液を木と土壌に散布しています。

ポンカンの木



2000年に植えたポンカンの木がこんなに生長しました。ポンカンの出荷は考えていないので完全自家用です。沢山の花を付けてよい香りが漂っています。低農薬(ガッドサイトSを五月根元に塗る)、有機農法で頑張っています。有機肥料(油かす、魚粉)を与え、防虫などのため木酢液を300倍に薄めたもとニーム酵素2000倍液を木と土壌に散布しています。


2006年1月



細川家の畑は実りの季節を迎えました。タンカンの苗を植えて4年がたち自家用で食べられるくらいは実を付けるようになりました。ビワも植えて3年がたち、実をよく付ける樹が何本かあります。2005年6月から念願のパッションフルーツの栽培を始めましたが植え付け時期が半年以上ずれてしまったので残念ながら収穫は無しでした。2006年は夏の収穫に向けて選定をしています。これからいろいろな果樹に春肥を与えるので今年も大きくなってもらい早く実を付けてほしいです。




2005年11月 細川家に初の新車、軽トラックがやってきました。今までダンナが一輪車で運んでいた肥料や石や木も楽々で運んでしまいます。とにかくいつかは軽トラックがほしいと思っていたのでダンナの気分はルンルンです。子供たちも大喜びで敷地内のドライブに荷台に乗ってついて来ます。軽トラックを頻繁に利用するようになると「田舎暮らししてるんだなー」と実感できます。



2005年4月、去年の台風で葉が枯れてしまったビワも少し樹勢回復が見られ新しい葉が沢山生えてきて鮮やかな緑です。今年は台風は少なくすんでほしいですがこればかりは運しだいですね。今回はだいぶ少ない収穫になってしまいましたが立派なビワの実がなりました。収穫はとても楽しいです。

今年は初めてタンカンの枝剪定をやってみましたがとても不安です。剪定の本を読んでみても意外と難しいので周りの蜜柑園の様子を見ながら真似しています。その他の果樹も樹勢回復し新緑がでています。収穫がまだできない果樹がほとんどなので果樹の成長がとても楽しみです。


2005年3月20年ぶりの積雪


2005年は強烈な寒波が日本をおおって屋久島の山間部だけでなく温暖な南側のふもとまで積雪がありました。これは20年ぶりということでびっくりしましたが普段見ることのない雪化粧に見入ってしまいました。3月の屋久島とは思えないほど寒く、ハイビスカスやアメリカンブルーなどの花が枯れてしまい細川家の畑では2cmほど積雪し朝日が昇るとあっという間に溶けてしまいました。

鉄砲虫



2004年秋ごろから数本のタンカンとポンカンの葉が黄色くなり元気がなくなってきた。農協とご近所の農家に聞くと苦土不足ではないかということで苦土石灰を撒き様子を見ることにした。日に日に葉が黄色くなり落ち始めた。これはいかんと隅々まで観察するとカミキリムシ(鉄砲虫)の食べた跡を発見。樹皮のすぐ下を食いつくし上へと穴は続いている。どこから入り込んだのだろうと悔しいが木を抜いてみると普通では見えない土中に張る太い根の辺りから進入していることがわかった。ご近所にいろいろと聞いてみると、原因不明でどうしようもなく抜いてみたら根の真下から鉄砲虫入り込んでいたということがあったらしい。特に腕の太さくらいになった幼木が狙われるらしく防除が遅れると枯れてしまうのだ。本当に性質が悪い。写真では虫の大きさがわかりにくいと思いますが約五cmほどありました。早く気づけば針金で引きずり出したり突いて殺したりできたのですが、今回はタンカン2本とポンカン1本が枯れてしまった。農業は厳しいです。

2004年12月・新たに植えた果樹



以下の果樹の他にナシ、ユスラウメ、梅、小梅を植えました。今年は台風の当たり年で果樹にとっても厳しい年となりました。未だに葉が落ちてしまっている果樹もありますが力を溜めて春には新緑を沢山付けてくれることでしょう。



2003年に植えたフェイジョアを誤って草刈機で切ってしまい。悔しさのあまり知り合いの方に分けていただきました。南国フルーツフェイジョアは花も食べると甘く美味しいし、実も小さいキイウイフルーツのような形でストロベリーとリンゴとナシを混ぜたような?味がします。全部で4本植えてあるので、今度は絶対切らないぞ・・・・。



嫁さんのたっての希望でサワーポメロ苗17本を新たに開拓した畑に植え付けをしました。植え付けをした翌日に急な仕事が入ってしまい、丸一日畑の様子を見ることができず心配でいました。もどって水を撒きにいくと植え付けした内の3本が枯れ気味。あいたたっ・・・・。

以前植えた30本のたんかんは今年から実を付けることにしました。また新たに開拓した畑にたんかん苗13本を植え付けしました。少ない本数で収穫を増やすため苗と苗の間隔を広めに取り、日当たりを良くしました。以前植えた苗よりも今回の苗の方がしっかりしているようです。植え付けした後も枯れる苗はありませんでした。

2003年12月・細川家の畑



今年新しく、植えられた果樹達は、左からサワーポメロ、フェイジョア、大実キンカンです。その他サクランボとプラムも植えました。サワーポメロは嫁さんが妊娠している時に、近所の農家からいただきよく食べていました。妊娠中なので柑橘系が美味しいらしく、大絶賛。苗を分けていただきました。



細川家の果樹達は今年は本当によく成長してくれました。土地を見ることが楽しくてしょうがない状態です。ポンカンは沢山の実を付けていて、もう色づいているものもあります。レイシはやっと葉を沢山広げ始め成長が目に見えてきました。その他、レモン、イチジク、グァバも元気に成長しています。タンカンは木を大きくする為に花も実も落としてしまったので、今年は残念ですが収穫できませんが来年は実を付ける予定です。2002年に植えたスターフルーツは成長することなく枯れてしまいました。スターフルーツは中々生長しないらしく、ビニールハウスなら失敗がないと言うことでした。またチャンスがあればチャレンジします。



ビワ畑を拡張し、新たにビワの苗を増やしました。元々植えていたビワも今年は急成長し沢山の花を付けています。来年の収穫が楽しみになってきました。

2003年春・細川家の果樹達

ビワの木


嫁さんの強い要望でビワ畑を作ることにしました。3年ほど前に場所も決まっていないのに購入してしまいました。、何度か植え替えをしたせいか、成長が悪く、やっと落ち着いたので今年になって成長が良くなりました。実だけでなく、葉や種も利用できるのでもう少し増やす予定でいます。現在八本ほど植えています。

無農薬、有機農法で頑張っています。

GT液堆肥を適度に与え、防虫などのため木酢液を1000倍に薄めたものを木と土壌に散布しています。

グァバ


植えてから一年半が過ぎました。自家用なのであまり神経質にならずにほったらかし状態です。幾つか果実も付き、食べることもできました。完熟を待っていると、収穫前に鳥に取られてしまうので今年は何か対策をしようと思います。

無農薬、有機農法で頑張っています。

GT液堆肥を適度に与え、防虫などのため木酢液を1000倍に薄めたものを木と土壌に散布しています。

タンカンの木


植えてから一年半が過ぎました。タンカンの苗木も生育がよく、今年も沢山の花が咲きました。これから数年は花が咲いても花を落とし、早く木が大きくなるようにします。収穫できないのは残念ですが、近い未来に沢山の果実を付けて家族みんなで収穫する日を夢見て、我慢です。

無農薬、有機農法で頑張っています。

GT液堆肥を適度に与え、防虫などのため木酢液を1000倍に薄めたものを木と土壌に散布しています。

ポンカンの木


四年前にいただいた、死にそうなポンカンの苗がこんなに大きく成長しました。肥料を与えてもなかなか果実をつけなかった木が今年は沢山の花を付け、現在では沢山の小さな果実を付けています。今年は自家用でポンカンを収穫予定でいます。無農薬、有機農法で頑張っています。GT液堆肥を月に一度与え、防虫などのため木酢液を1000倍に薄めたものを木と土壌に散布しています。


2002年植えた果樹

2002/06
ポットに入れて根が張るまで待っていたレイシ(ライチ)の苗を植えつけました。その他イチジクとスターフルーツも植えてみました。ポンカンとタンカン、レモンの苗には小指の爪ほどの果実が実っています。

2002/06
今まで何度も開拓を試みてきたが挫折していた、ビニールハウスの開拓を始めました。枯れススキが1m以上堆積されるほどほったらかし状態なので足場が悪く、もし蜂の巣などの危険があっても逃げられないという恐ろしい状態での作業で草刈からはじめ、雑木をチェーンソーで伐採し、片付けるという作業。木が茂り見えなくなっていたビニールハウスの鉄筋骨格が一部見えます。ビニールハウスにはクズ(つる性の植物)が絡み、ツルを切るのは手作業になります。一人では大変な作業ですが、なんとなくやれる気がしています。



2002/04
畑にニワトリ小屋を作りました。ニワトリは卵を産むだけでなく、沢山飼えば土地を耕し、糞を落とし、雑草を食べてくれる。有機農法をするためには大切なパートナーです。まだ十羽程しかいませんが将来は百羽くらいは飼いたいと思います。



2002/04
ポンカンの苗にも少ないですが花が咲いています。植えたときは痩せて小さい苗木でしたが今ではダンナくらい大きく成長しました。弱った苗だったのでやっと定着し根が伸びたのでしょう。ホッとしています。ポンカンの苗を防風林が覆い始めたので少し広めに剪定をしました。すると先住者が土地の境に植えたダイダイの若木が現れました。土地開拓をする際に、成木のダイダイを4本ほど伐採してしまったので、もう無いかと思っていたのでラッキーでした。ダイダイはユズのような感覚で使うことができます。屋久島では刺身を食べるときに醤油の代わりに使ったりします。美味です。

無事に植えつけも終わり、タンカンの苗木も根をはりました。

2002/03
タンカンの苗木が沢山の花を付けています。花が咲き始める頃に肥料を沢山上げるのですが仕事が忙しくなかなか作業ができないでいます。肥料はGT液を入れた液肥を使用してみようと思います。


2001年植えた果実



ビワ、グアバ、レモンを植え付けました。

最初に植えた成木の在来タンカンが枯れてしまった。枝を選定したり、肥料を多くあげたりしましたが、鉄砲虫(カミキリムシ)の幼虫が幹に穴を開けてしまい弱っていってしまいました。残念。これから無農薬で野菜や果物を作っていくので、本当の意味での自然との闘いだと痛感しました。



農協と町の補助を受けて、タンカンの苗30本と肥料が届きました。台風を避けた秋植えです。苗も2年生
苗なので成長も早いそうで、5年もたてば実が付くと言われています。



今回は全部で三枚の畑を準備しましたが、二枚はタンカンで一枚はグァバやレイシ、レモン、金柑などを植える予定でいます。



管理機で土を耕し柔らかくしていきます。ふかふかの良い土ですが思ったよりもミミズが少ないので今後は土作りを頑木根や岩を取り除きながら、張らねばなりません。耕しているとカブト虫の幼虫が出てきます。



みかんは日光が好きなので斜面を好みます。でも斜面は大雨で、土が流出するおそれがあるので石組みをして石垣を造っていきます。

2001年11月、10年後の収穫を夢見てタンカンの苗を植え付け準備をはじめました。


2001年度・米作り完結




細川家で初めて収穫した記念の米。名前を<雅楽米>うたまいと名づけました。このお米は少ないですが、友人、親戚に送る予定です。結局細川家の新米は10表採ることができました。


写真を見るとあっという間に終わってしまったようですが、正確に言うと写真やビデオを撮る暇がないくらい忙しかったのです。ここまで終わる作業の流れは、脱穀機で脱穀、そして取れた米を乾燥機で乾燥させ翌日のお昼頃に取り出す、と言った作業を終わらせました。でき映えはとても良く、美味しい新米を食べることができました。最後に写真の藁はポンカン畑で肥料に変える予定です。


バインダーで刈り取った後は半日天日で干し、稲穂を乾燥させます。全体的に乾燥させる為に稲穂を裏返したりする作業をしました。


バインダーという機械で刈り取る作業です。機械でも刈り取れない倒れた稲穂やまっすぐに植えつけできなかった稲穂を鎌で刈り取っていきます。


土用干しをしたあとに水を田んぼへ戻すと稲穂が上がってきました。回りの田んぼと変わらないくらい見栄えも良くなってきてホッとしています。


稲もずいぶん大きく成長してきました。田んぼは緑が美しく輝いています。梅雨に入るころには稲刈りの準備である土用干しという作業をします。稲刈りする時に田んぼに足をとられない為に水を抜き、地面がひび割れるほど乾燥させるのです。
田植えも終わり、作業も終わりだと思っていました。でも機械作業で上手く植えられなかった箇所は稲が抜けてしまいまうので人力で補植をしなければならないのです。結構抜けてしまっていたり倒れているのも多いので大変な作業でした。


とうとう田植えです。全てが機械でできてしまうのです。さすがに田植えは難しいらしく素人には機械をいじらせてもらえませんでした。端っこの機械が通れない場所は昔ながらの人力で田植えをしました。
田んぼに水を入れトラクターをまわし、肥料蒔きをしました。ケイカル4袋・ヨウリン2袋・水灰骨粉入り2袋、全部で8袋蒔いて足を取られながらの作業でした。


田んぼの草払い作業。細川家は一反の田んぼを借りて稲作に挑戦。基本的な草払いも期待と不安、色々な思いがあって緊張しながらの作業。


2日、3日でこんなに元気に芽が出ました。今年の苗の出来は良いらしく、芽がそろっているのがとても綺麗です。


ビニールハウスに重ねて入れて、濡れた新聞紙と毛布をかぶしてビニールで覆って作業終了。稲が発芽するには気温を23度くらいにするほど暖かいのです。


2001年2月初め、初めての稲作の準備を始めた。苗を種籾から発芽させて苗を作る作業。種籾を丁寧に振り分けてからサラサラの良い土をふるいで上にかぶしていきます。苗床にやさしく水をまいていきます。

細川家初の稲作が始まりました


2001年2月、緑がどんどん濃くなってくる様子が分かるので、防風林の選定を始めました。流石にほったらかしだったので、防風林と言うよりも木と草の壁となってしまっていた。だいたい背の高さ位に高さを揃えて、新しい葉が揃うのを待ちます。

去年の5月頃植えたぽんかんの苗木それそぞれが1〜2個づつ実をつけました。食べてみたら激うまでした。屋久島たんかん以上の甘味があり、しかも瑞々しいのです。屋久島に住んでこんなにおいしいぽんかんを食べたのは初めてでした。来年はもっと大きく成長して沢山の実を付けてほしいです。

2000年11月在来種タンカンには実がだいぶ付き、枝が垂れ下がっていました。2000年5月頃植えたもので、まだ根がちゃんと張っていないせいか、葉っぱが少なく実だけ付いているように見えます。これはあまり良くない状態で、根が張っていないのに実だけに栄養を回そうとしているそうで、慌てて木の剪定をして小さい実を落すテッカをしました。来年2月は初タンカンが食べられそうです。

心配していたタンカン予定地の木の根を抜く事に成功。昔の屋久島の人は、切り株に生えてきた新芽を手で摘み取りだんだんと弱らせ枯らしたそうですが、少しでも楽をするためにユンボを入れました。畑は2メートルほど黒土が堆積して、見事な土地でした。



ご近所からポンカン苗木をいただきました。梅雨に入り土地に植付けを開始。真黒の良い土で成長が早いのでは、と期待しています。とりあえず自家用として10本植えて、成木となるのに10年ほどかかります。屋久島ポンカンの銘柄で名高い果実は、太陽の恵みをいっぱいうけ、味覚、視そろった果物の王様です。収穫は毎年11月下旬から12月下旬頃まで行なわれ、ダンナも近所の農家の手伝いを頼まれます。将来細川家のポンカンを収穫するのが楽しみです。



壊れた管理機を近所のおじさんにいただき、修理に出すこと2ヶ月、エンジンを新品に乗せ変えて我家にお助けマシーン管理機がやってきました。これで農作業や土地開拓が楽に進めることができるでしょう。エンジンは新品でも本体は30年ほど前のものなのでペンキを塗って少しでも見栄えを良くしてやりました。この管理機は長い付き合いになることでしょう。これから一緒に頑張っていってくれ。



タンカンのほぼ成木をいただきました。この木は在来種なので改良される前の元々の種類になります。現在は垂水と言う改良されたタンカンを多く育てています。垂水は玉が大きく見栄えもいいので消費者は喜ぶのでしょうね。しかし、在来種は玉は小さいのですが、糖度が高くとても美味しいとの事でした。小さなみかんが付いているので、うまくいけば来年の2月には家庭用としては食べられるかもしれません。