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2007年春・開拓


嫁さんにガーデニングスペースを提供する為にポンカンを抜いてしまいました。我が家に2本残し、お隣に2本もらっていただきました。残りはカミキリムシにだいぶ食べられていたので我が家の薪になってもらいます。まず、この土地には沢山のゼフィランサスの球根が植えられているので、なるべく球根を救出。ユンボで抜いたポンカンを別の場所に植えなおし、邪魔な木や根をなるべく抜いた後にトラクターで耕して作業終了。嫁さんの監視の目にドキドキしながらの作業でしたが嫁さんご満悦のようです。そういえば今までトラクターの紹介をするのを忘れていました。2004年のことです。農協と役場が持っているトラクターを依頼したら耕すのを断られてしまったのです。石やツル、木の根があるからトラクターが傷むそうです。細川家にはそんな整備された畑は無いので、自分で購入してツルや木の根も強引に耕して畑を作りました。


2006年5月の細川家土地


母屋の暮らしにも慣れてきて目の前の細川家の土地を見ていると気持ちがよいです。とあっという間に原野と化すので草刈をまめにしなくては・・・・・。ポンカン、タンカンなどの果樹や花木も成長してきて果樹園らしくなってきました。



細川家のシンボルツリーのガジュマルあまり成長してくれないので今年は肥料をいっぱいあげてみます。毎年ガジュマルとそらくんたちの成長を記録していこうと思います。そのうち家の屋根からガジュマルが生えているように見えるのが夢ですね。結構楽しみです。


2005年12月





母屋も完成し、私道をコンクリートで一部舗装しました。子供たちも今までは砂利道で遊びにくいようでしたが舗装したら、今まで見向きもしなかった自転車や車の乗り物で暗くなるまで勢いよく遊びまくっています。車もよくスタックしていたけどこれで心配なくなりました。とても快適です。


2005年6月


再度、宅地造成が始まりました。「えっどうして」とお思いになる方もいるかもしれませんね。なにせ今まで宅地だと思っていた場所が宅地ではなく、ほんの少しだけ宅地にかぶっているだけだったのです。土地購入するときに建っていた崩れかけの家の場所が宅地だと思っていたら大間違い。早速、測量士に杭を打ってもらうことに・・・・・・。測量士さんも申し訳なさそうに「こんなにずれているなんてねー。でも間違いないから」と嫁さんはショックで夕飯が作れませんでした。一回目の造成で動かさなかった大岩や宅地と判明した林を何とかするための造成。だいぶ広がるし、形も変わってきます。畑から宅地に上がる私道が二股になり県道と母屋の前に行けるようになりました。



一番気がかりだった宅地の邪魔となる大岩。これが何とかならないと当初決めていた建坪の家が入らない。「少し掘れば動くかな」くらいに思っていたのに、簡単にはいきません。大岩を掘ってみると下には熊毛層群という屋久島特有の岩盤で大岩は岩盤にめり込んでる状態。「あーどうなってしまうんだろうか」



大岩の周りから掘り進めて大きな穴が開いた。下の岩盤もできるだけユンボで叩き割っていくと人間の歯と歯茎を思わせるような形だと言うことがわかった。まだ下の岩盤は崩していかなければ大岩は倒れそうもない。



ユンボの力で大岩を倒したものの、あれだけ掘っても下の岩盤が邪魔して宅地の高さから大岩の少し尖った部分が40cmほど出てしまう。家を建てたときの基礎に入ってしまえば問題ないのですが基礎はだいたい45cmほどだと言うので、命がけの作業が始まった。写真ではわかりにくいが岩盤と大岩の間に人がうつぶせになれば人が侵入できる隙間があって、そこに引っかかっている岩盤を鶴嘴や金棒、バール、ハンマーで叩き割っていく作業。えらく恐ろしい空間でした。始めは恐る恐る割っていましたが段々と勢いづいてきてガンガン割っていくダンナ。そうこうしている内にほんの少しの岩盤に乗っかっているだけの大岩が「ピキッ」と音お立てて亀裂が入った。もう限界だとダンナは逃げ、後はユンボのパワーに運命をたくす。「ウィーン、ウィーン、ガッコン」と大岩を一気に叩くと計算どおりに大岩は穴の中に納まってくれた。ダンナの歓喜の叫びが響き渡っていたと近所の奥様が言っていた。


2005年4月


念願のビニールハウス一棟完成。残骸を修復しながらの作業でしたがなかなか良い調子で3日程で終わりました。「あーここまで長かったなぁー」としみじみとビニールハウスを見つめています。


2004年12月


土地開拓も今まで手を付ける事ができなかったビニールハウスの残骸地帯に突入しました。毎年試みるも忙しく期間が空いてしまうとあっという間に雑草と蔓に覆われてしまいスズメバチやアシナガバチと戦いながらの作業となるデンジャラス地帯。この寒い冬の期間に何としても土地の全貌と安全に歩けるようにするため。暗く土地を覆っていた大木を切り倒し土地の境と防風林を整えていきました。つる性植物の巻きつきや光を求めくねくねと色々な方向に伸びた木々は思ったように倒れてくれはしないのです。3日間ほどチェーンソーを使い切った丸太を土地の境に積み上げていく作業をするがいくら運んでもなかなか減らない。



細川家にはビニールハウスの残骸が四つあり、なるべく今ある骨組みを使い再利用しようと考えています。一番手前にあるビニールハウスは少しずつ手はかけていたので何とかこの程度の雑草で済みました。それまでは細川家のダンナしか近寄らないダークポイントでしたが少し明るくなったので子供達や嫁さんも顔を出してくれるようになりました。



中に生えた木を切り倒し、周りを綺麗に手で草を取り、恐ろしいほど絡み成長した蔓を切りるという地道な作業が終わり、ビニールハウスの骨組みが見えました。木や雑草はなるべく燃やしさらに、細かい草抜き作業を行う。このビニールハウスは修復すれば使えそうなので細川家第一ビニールハウスとしてパッションフルーツを栽培する予定です。



雑草生い茂る林のように見えるこの場所に第二、第三ビニールハウスの鉄筋が隠れています。写真中央付近は農道で左が防風林。これでも少しは木を切ったので見えるようになった状態です。蔓を剥がし育った木々を切り倒しビニールハウスに日がよく当たるように選定していきます。このビニールハウスは長さ35メートルほどの長さがあり写真はビニールハウスの左端になります。












チェーンソー作業により何となく奥が見えてきました。この写真は一番奥にある第四ビニールハウスの右端ですが手前の第三ビニールハウスは台風で潰れていたので早いうちに破損部分を撤去しました。いざ切り開こうと草を刈りビニールハウスの中に生えた竹や木々を切ってみるとほとんど使えないほど潰れ気味でした。部品が取れればいいけどだめそうです。

2004年9月


アヒルが細川家にやってくるということで、よめさんから池造りの指令がくだった。たかが池だが土地の形を観察し、土地の雨水がうまく流れるように位地を決めねばなりません。池の大きさ傾きなどスコップで削りながらほとんど勘で作り上げていく。おおまかな形ができて周りを石で組んでいく。セメントを流し込み左官小手で整えて完成。池には水生植物やメダカを放し、数日で生態系が整ってきた。トンボが産卵し、ゲンゴロウが泳ぎ、ホテイアオイの花が次々と咲き見事である。アヒルってけっこうデカイよ池が小さく見えてしまう。池で遊ぶアヒルは幸せそうですがあっという間に水生植物やメダカを食いつくし何もなくなってしまった。がっくり。


2004年5月の細川家宅地


宅地に芝生を植えた。しかし斜面には付が悪そうで心配です。屋久島の雨は半端なく物凄い雨になるので、土が流れてしまいます。ガジュマルやハイビスカス、ブーゲンビリアなどの植物も植え替えたので早く茂った姿が見たいです。そして、夢の母屋ができますように・・・・・・。



2004年2月
「母屋を建てるぞ計画」の初めとして宅地の造成を行った。



ご近所にこれから引越してくる土地の造成をしていたおじさんと知り合い。ダンナがおじさんの造成技術に惚れ込んでしまった。重機操作技術がすばらしいだけでなく、その土地に埋まっている石や岩を巧みに組みながら、想像力を膨らまして見事な造成地を創り上げていく。そして遊び心も忘れずにちょっとした自然を利用した小道や階段を造ってくれる。その仕事ぶりはただただ驚くばかりで、朝早くから暗くなるまで作業していた。細川家の造成は宅地の場所が地籍図ではまだ広いのに、少ししか平坦になっていないので宅地を無駄なく利用するために造成依頼した。気になっていた斜面を重機で崩していくと、どうにもならないほどの大岩が出てきてしまった。それ以上宅地を広げることができなくなってしまったので、ダンナは少し残念でしたが、おじさんはその岩を使って遊び心ある階段を造ってくれました。子供たちはライオンキングごっこをし、ダンナはフリークライミングが手軽にできるボルタリングワールドと楽しい空間を創りあげてくれました。



五日間ほどで、造成を終えました。とても働き者で良心的なおじさんが細川家のシンボルとも言える岩つきの土地を創りあげてくれました。お値段も色々追加をしたのに始めの見積もりどおりで、細川家のような家族には本当に心強いおじさんでした。今後も細川家は造成が必要なこともあるので、毎回安心して頼むことができます。うわさによると、以前砂利をひいた建設屋は一番悪い業者らしく、現在倒産しています。結局、当時の見積書もいまだに持ってきてくれないというありさまです。

大雨で水が流れる細川家では以前小さい重機で溝を掘りましたが、今度の造成で岩を利用した水路を作ってくれました。これから大雨の季節に突入するので、ある意味楽しみになりました。水路底面には生コンをひいたのですが、物置を建設するための生コンが余ったということで大工さんたちがサービスでひいてくれました。本当に感謝です。



細川家の大岩で、岩の上には嫁さんが埋まってしまうほどの窪みがある不思議な岩です。色々と悩んだ結果、土を入れて岩の植木鉢にしてしまいました。植えた植物はガジュマルで、細川家のシンボルツリーになることでしょう。うーちゃんがのっているので大きさが何となくわかるのではないかと思います。雨が降れば土を洗い落としてくれるので、もう少しきれいになのはずです。この岩で、フリークライミングの練習ができます。



2002年7月下旬
宅地前ほどではないですが、タンカン畑からも水が溢れ出してきます。せっかくタンカンに肥料を与えても流れてしまうので、山手側に水路を掘る作業を始めました。管理機で水路を決めてから、後日ユンボで深く掘り下げました。防風林の根が邪魔してなかなかうまくか不安でしたが、水も水路を流れていっているようです。

2002年7月初旬
台風や大雨で、大切な土地に川が流れてしまった。ものすごい大増水で恐怖を感じるほどでした。これ以上土地が崩れないように、水路を造る作業。宅地前にある程度人力で水路を決めてから後日ユンボで深く掘り下げ整えました。細川家上の町道には側溝が無いために水が押し寄せてきたと思われます。後日、役場に電話して何とかしてもらえるように頼んだが、側溝を造るかどうかもわからないし予算が下りたとしても数年後と言われたので、応急処置だけはするように依頼しました。



土地入り口から奥の畑二段目までの道を建設に依頼して造成を行いました。トラック17台分の砕石を入れ綺麗になったのですが、流石に造成代はものすごく高かった。木を1本抜くのも1万円するのです。初めの見積もりの倍くらい請求されて見積もりの意味がないので本当に夫婦でビックリした。でも、建設会社社長いわく沢山おまけしてくれたらしいのですが、素人の細川家は内訳書もないのでさっぱりわかりません。今までダンナは開拓を必死にしてきましたが、人力でよく頑張ったなと再確認しました。

2002年4月
細川家の土地は草が伸び、また大変な時期がやってきました。ただ今までと違うところは、土地が開けて草刈がし易くなりました。防風林の剪定も楽になり、剪定と草刈を行うと見違えたように素晴らしく見えます。土地開拓作業も大変な部分はほぼ終わり管理造園作業が今後メインになってきます。樹木や花を植え明るい土地に変えていきます。 今、挿し木で植えつけている木の種類はハイビスカスやブーゲンビリア、アジサイなど様々です。成長して沢山の花を付けるのを楽しみにしています。



畑のゴミを取る作業。木の根、竹の根、石、ビン、洋服などのゴミが出るので地道な手作業になります。しかし強力な助っ人機械、管理機くんが大活躍。畑を耕すと同じに細長い根っこやツタを巻き取っていくのです。ちなみにユンボを入れる前は、太い根っこにぶつかるとエンジンストップしてしまうのでまったく使えなかったのに、大きな根を取ってしまえばそのパワーに大満足。ユンボや管理機のおかげで沢山の根とゴミが山となって後は燃やすだけです。



事務所予定地の花壇に植物を植えました。バナナにヤシにクワズイモに南国の花、屋久島らしい良い庭になれば良いな。



大量に出てきた木の株は、畑に大きな穴を掘って、埋めてしまいました。これは昔の屋久島の人達が土を良くするために、木を肥料として埋めていたという方法で、真似をしてみました。そのおかげで、燃やす作業も少なくなり、土地もスッキリしました。写真の土地の中に根が大量に埋まっています。



2000年11月中旬ユンボで木の根を抜き、竹を抜き、岩を動かし、道を造り、最終的とも言える大開拓を行ないました。今度は前回よりも大型のユンボを借りたので、心配していた木の根や岩もなんとか動かす事ができて、頭に描いていたような素晴らしいできに仕上がりました。

2000年11月上旬2度目のユンボを入れる事が決定した。ユンボが作業しやすいように転がっていた丸太を拾い集め燃やし、ただひたすら燃やしつづけ、気がついてみるとTシャツの背中に無数の穴が開き、頭からはかみのけの燃える臭いがしていました。

2000年10月、農道沿いの細川家土地入り口の木を切る作業を開始。この場所には仮住まいを立てる予定でいます。景色も海を見下ろしていて美しいので、楽しみです。

2000年9月、川沿いの境界線付近の木をチェーンソーで切り土地を広く整備しました。開拓を始めてもうすぐ1年がたとうとしています。最近ではチェーンソーの使い方も上達し、かなり太い木でも安心して切れるようになりました。

2000年6、7、8月とガイドの仕事が忙しくなり、土地開拓が進まず、ほったらかしの状態が続いてしまった。予想どおり、草が生え、小さな木が根をおろし、緑が濃くなっていた。恐るべし屋久島。しかし、負けずと草を抜き、地をはう根をそぎ取り、土肌が見えてきた。草がなくなると前に切っておいた枝や丸太が出てきたので集めて燃やしました。いつもの事ながら、燃やす作業は盛大に行なっています。(燃やす量が半端でないので)

2000年6月になって、梅雨に入りました。この時期は天気が安定しないので、できる仕事も限られてしまいます。でも、梅雨どきが最も最適な作業もあるのです。防風林や庭木とする植物の植え替え、挿し木にして増やす作業です。雨が多いので、ほっといても根が生えてくるのです。とりあえず、ハイビスカスやあじさいを挿し木にしてみました。

いつも車を運転しながら、落ちている花崗岩を拾い集めてやっと石垣を組み終った。まだ未完成ではありますが、本当に苦労しました。なにせ、やっと持てるくらいの岩を抱えて積み重ねていくのです。小さく見えても岩、重たかったです

2000年5月中旬、ユンボで整地したときに出た。木の根やゴミを集める作業。木の根は大きく人力では運ぶ事ができないので、車で引き一箇所に集める。ゴミはビン、缶、洋服など様々な物が出てくる。昔の人は何でも土に埋めていたみたいです。この根を燃やす作業が大変でやっとの思いで燃やす事が出来ました。

2000年5月に入り、やっと整地まで到達しました。PC75ユンボをレンタルし、とりあえず宅地だけでも平らに出来るようにやって見ましたが、花崗岩の大岩が出るは出るは、こんなに石が出るとは思ってもいませんでしたが、せっかく出てきたので石垣に使う事にしました。ユンボでも動かす事がやっとの大岩ばかりなので、石垣を組むだけでも時間がかかりました。心配していたタブの巨木も抜く事も出来てホッとし、なんとか形にはなりました。



2000年3月はほとんど開拓できず、4月に入ってしまいました。4月13、14、15、16日で、土地に置去りとなり、台風で潰されたビニールハウスを撤去する作業をした。全部で7棟あるビニールハウスの内4棟を撤去。物凄く気温が高くてバテバテになりながらの仕事なんとか終了。しんどい仕事でした。気温も高くなり、驚異的に植物達も伸び始めてかなりピンチです。

もう2000年2月が終わろうとしています。最後に大木を切り倒して広々とした土地を見る事が出来るようにまでなりました。

1999年12月はじめ頃、土地への入口を草刈機で払いようやく宅地まで辿りついた。中はジャングル。それも仕方がない、二十年以上ほったらかしなのだから。