細川家取材記事


■2003/11

■雑誌「ドッグ・ワールド」に細川家とご近所の犬たちが掲載されました。

元野良屋久犬のディンゴ。立ち耳、細い顔、丸い瞳・・・・・・・・。土着の犬たちに共通していた。ディンゴを囲んでいるのは飼い主・鈴木さん(左)とエコツアーを企画する細川家のうーちゃん(右)。

移住者でパグを飼っている人がいる。月に雁、蝶に牡丹、紅葉に鹿、屋久島に「パグ」・・・・・?安房と尾之間の中ほどに麦生という地域がある。ここでエコツアーを企画をしている細川陽子さんに案内頂いて、パグの飼い主である鈴木さんの家を訪ねた。パグのメグは玄関のガレージにいた。暑いので日陰に入っている。話を聞いて驚いたことにメグは屋久島に来てから、外犬になった(といってもガレージだが)。パグの外飼い、それも屋久島で・・・・・・・。「一年に400日雨が降る」と言われる屋久島の湿度は高温多湿の日本のなかにあって特筆すべきものがある。いわゆる洋犬は湿度に弱いといわれるが、大丈夫なのか。鈴木さんに伺うと意外な答えが。「千葉に住んでいる頃はずっと室内で飼っていたんですよ。毎年皮膚病になってね、薬がかかせませんでした。でもここにきてから全く病気が出なくなりましたね」一週間も留守にすると部屋中がカビだらけになるような湿気の中で以前よりも元気になるなど驚きである。何が快調の原因か。


「太陽かな・・・・・。よく陽にあたるから、それがいいのかな」太陽か水かはたまた空気か。やはり屋久島の力に違いない。家の裏にも犬がいるというのでぐるりと回ってみると、おおっ、野良屋久犬ではないか。これまた年齢不詳の元放浪犬である。名前は「ディンゴ」鈴木さんの家に来てから四年程になる。このディンゴがおりこうなのだ。メグが山に入り込んで行方不明になると、すっとんでいって探してくる。皆をまとめて気遣いながら歩くことができる犬なのだ。群れの中で困ったことがあれば、迅速かつ的確に行動する。お互いの弱いところを補うことで、群れは強くなり安全にいられる。根っからの飼い犬にはなかなか見る事ができない行動力である。そういえばしばしば見かけた野良屋久犬たちも群れで行動していた。人に飼われるようになっても、彼らは決して本能を忘れてはいない。そして行動力があるのにリーダーにはなっていない点も興味深い。一歩も二歩も下がっているように感じられる。これまた不思議な野良屋久犬たちである。

(写真左)細川家離れに歩く、陽子さんとうーちゃん、そしてアイビー
結局アイビーくんは落ち着きが無く、後姿を撮影するのが精一杯でほとんど本誌に登場することはありませんでした。



細部まで精巧につくられている植物の世界を虫眼鏡で覗く。水分をたっぷり含んだ、まるで羽毛のように柔らかな苔。


■2003/06

■雑誌「ソトコト」にFIELDが掲載されました。

屋久島でネイチャーガイドとして働く細川浩司さんはアウトドアの達人。都会の暮らしがどうにも肌に合わず、三宅島や沖縄を渡り歩き、屋久島に移住。自ら土地を開墾し、家も建ててしまう・・・・という経歴から、やんちゃな野生児といった人を想像していた。が、実際の細川さんは、ゆったりと落ち着いた話し方。この人なら安心、ひと目で思わせてしまうような頼もしさがある。細川さんが案内してくれたのは白谷雲水峡という、苔と渓谷が美しい森だ。えっ、縄文杉じゃないの?「縄文杉を目当てに屋久島に来る人は多いんですけどね・・・・」屋久島は、なんと九州で最高峰の山を抱く島。縄文杉はちょうどそのおへそのような位置にある。健脚な人でも往復約10時間ほどの登山となるので、それなりの覚悟と準備が必要なのだ。早朝に出発しても、日が暮れる前に帰ってくるには立ち止まる暇はほとんどなく、黙々と歩くことになる。「木や森について説明したり、森でゆっくり過ごしてもらったりすることができないので、あえておすすめはしません」と。白谷雲水峡に着くと、まずは準備体操。特にひねりやすい足首はよくストレッチしておく必要がある。と、早速屋久ザルに出くわした。エサを求めて人間を襲う凶暴なサルと違い、一心不乱に新芽を食む姿がかわいらしい。雲水峡を歩き進むと、空気は水分がたっぷり含まれ、しっとりとしたものに変化していく。日差しは新緑の薄いフィルターを通って届く。生き物が活動をはじめ、繁殖するこの季節、森の生命体が放つエネルギーが、呼吸するたびに身体に満ちていくような気がする。楽しめるだろうか、という不安は早くも消え、「はるばる屋久島までやって来たからには、見るもの見て、食べるもの食べて、屋久ザル屋久シカもしっかり見て帰るぞ!」と気合が入る。細川さんに対しても、あれこれ責め立てるように質問してしまう。しかし、細川さんはガイドといっても、バスガイドのようにしゃべりまくるわけではない。森の雰囲気を邪魔しないように、時々立ち止まってはポツリ、ポツリと木や植物、鳥のことを教えてくれる。不思議なのだが、細川さんが「あ、今、シカがいました」とか「あそこにツツジが咲いていますよ」とか教えてくれるが、言われるまではこちらは全く気がつかない。言われて改めて目を凝らし、ようやく見つけることができる。ちょっとした動きや色の変化に気をつけると見つけられるそうだが、普段、都会の生活で滅多に使わないそれらの感覚は、鈍ってしまっているのだろう。ところで杉というと、まっすぐにそびえ立つ木を思い描いていた。しかし、ほとんどの屋久杉はグロテスクといっていいほどの容貌をしている。他の木に巻き付いたり、巻き付かれたり、倒れた木の上に新しい木が生え、2本が一体化していたり気根を何本も伸ばし、なんとか自らを支えようとする姿を見ると、何百年、何千年という時をかけた壮絶な生存競争の跡なのだとわかる。そう、動物にしろ植物にしろ、生き抜いていくことは簡単ではないのだ。厳しさが刻みこまれているからこそ、屋久杉に魅かれ、神々しさを感じるのかもしれない・・・・。そんなことを考えながら歩き続けていると、だんだんと目が慣れてきたのか、自分でも習った花や木を見分けられるようになってきた。名前がわかると不思議と親近感がわく。今度来る時にはミニ植物図鑑を持ってくるといいかもしれない。そろそろお昼にしましょうかという時間になり、しばしランチタイムとなる。通常のツアーだと、トイレのある山小屋まで行ってお昼ということになるのだが、細川さんの場合はあくまでもその日の参加者のペースにまかせている。幸い雲水峡の中にはあちこちにせせらぎがあるので、休憩に適した場所はいくつもある。「ぼちぼちでいいですから」が口癖の細川さんだ。その場所が気に入ったら、一日そこで過ごしてもいいし、最後までたどりつければ途中で引き返してもいい。無理して「どこそこまで行かなければ」というツアーでは疲労感ばかりが残ってしまう。お弁当を食べ終わると、せせらぎの水を汲んでコーヒーを入れてくれた。温かいものを飲むとホッとするし、なにより屋久島のきれいな水でいれたコーヒーはうまい。舌からも、屋久島の自然を実感してもらいたいという気持ちからはじめたサービスだ。細川さんの考えるエコツアーとは単に自然の中を歩くことだけではない。その自然とともに生まれた、文化や伝統といったものもひっくるめて理解し、体験することこそエコツアー。だから、屋久杉での工芸品作りや地元の食べ物にも積極的に挑戦してほしいと言う。森の空気に包まれ、心まで緑に満たされていくうちに、こうしてせせらぎの音を聞いているだけで十分だなと思えてきた。考えてみれば「何々しなければ!」と思っているのは私だけの都合で、周りの自然がそれに合わせてくれるわけではない。そんな勝手な思い込みから自分を解放することこそ、エコツアーのファーストステップなのかもしれない。



奥さんの陽子さんが特別に用意してくれたお弁当。トビウオのすり身を揚げた「つけ揚げ」やおにぎりの具にしたサバ味噌など、地元の味を大切にしたスローフード。防腐効果のあるゲットウの葉にくるんで。


■2003/06

■雑誌「モノマガジン」にFIELDが掲載されました。

屋久島のグッドロケーションを求めて東の山を登る。あいにくの大雨でだ。これじゃ自然を楽しみながらの登山なんてできやしない。日頃の行いを後悔しながら、緑の屋根のさらに上にのぞく曇り空を恨めしく思う。「西の方へ行きましょうか。きっと雨も降ってませんよ」ツアーガイド氏のアドバイスに従い向かった大川の滝。そこには日の光を受けて輝く雄大な水しぶきがあった。屋久島は周囲たったの百三十二キロの小さな島だ。それなのに、その東西南北に、大きな天候の違いを見ることができる。まるでそこは、あらゆる季節と天候の見本市。夏、人々は7月を待たずに南の海へ泳ぎ出し、冬は北の山頂に雪が積もりさえする。東で大雨が降っている同じ頃、西の空は晴天なんてことだってあるのだ。「四季の豊富な日本の風土」なんて比較にならないくらいのダイナミックさが溢れている。もちろんそこは東シナ海に浮かぶ南の島。夏の湿気はひどいものだ。(保存ケースに入れたカメラレンズにカビが生えるほど!)そんな中で生活を送る屋久島人には驚いてしまう。その力をわけて下さい!屋久島の自然を知り尽くし、なおかつ尊敬の気持ちを忘れない屋久島人のひとりであるガイド氏。その足下には、革が柔らかくなるほどに履きこなされたハイキングシューズがあった。彼のチカラの一端でもと、早速同じ靴に履き替える。なんだか大地に抱かれている気持ちがした。あらゆる山に、どんな季節でも登れる勇気が湧いてきた。そうさ大丈夫、僕はメレルを履いている!


2002/02 タウン情報誌もんみや

島旅への誘い(屋久島編)
地元の人が推薦する超穴場!!に屋久島地元人として協力。


2001/01 週刊宝石

「細川」の苗字を増やしたい。自分の故郷作りを夢見て、広いジャングルを開拓する



周囲約132キロ、その面積は約503平方キロメートル東京23区が収まる大きさで、鹿児島市の南方130キロに位置するのが屋久島だ。島の87%は山林に囲まれ、島内にはあの縄文杉をはじめ、日本百名山の100番目にあたる宮之浦岳1935メートルが中央に聳える。沿岸は亜熱帯気候だが、険しい山を持つため、動植物分布の北限南限が見られる、世界的にも珍しい島である。そんな原生の自然をたたえる屋久島に夢を求めて移住する人が跡を絶たない。町役場の統計によれば、とある村落の約30%までもが、都会からの移住者という。その一人が、細川浩司さんだ。東京都板橋区生まれ、板橋育ちの26歳。高校卒業と同時に、海洋関係の専門学校に進学。実地研修の名目で全国の島々を巡った。こうした行動に彼を駆り立てたのが、故郷への憧憬だった。自然が溢れ、水はおいしく、人々との温かい交流ができる島。21歳で辿りついた屋久島には、幼少から思い描いた夢が、明確な風景となって広がっていた。「でも、永住したいと思っても、最初は住所不定、音信不通の状態でした(笑)。飛び込みでポンカン農家の手伝いをしながら、屋久島で農業を学びました」

島に渡って3年後の99年8月。彼の人柄を見こんで土地を提供したいという人が現れた。いくばくかの自己資金と親からの借金を得て土地を購入した。20年も放置された敷地は、鬱蒼としたジャングルだった。樹木はノコギリで切っては、少しずつ開拓する。時にはハチに刺され、マムシに噛まれそうにもなった。そんな姿を見ていた地元の人々がチェーンソーや耕作機を持って、手伝いに現れるようになった。土地を購入してから1年半。2千600坪もの荒地は、やっと半分まで開拓した。「来年には母屋を建てます。ゆくゆくは、ガイドの仕事をしながら、自分の家の畑で、島の植物や農作物を見てもらいたい。自分の子供には畑のパッションフルーツをおやつにしてもらうようにできればいいですね。将来は僕と嫁さんの親も、ここに呼びますよ。細川の苗字も親戚も島内に沢山増やしてゆきます」島内でたったひと世帯しかない「細川家」の苗字。今年の7月に産まれたばかりの愛娘・雅楽(うた)ちゃんを抱きかかえながら、もう一人の「細川」誕生に目を細めた。


1998/02 シンラ
うまい空気、うまい水、うまい酒。
自分の為に毎日を生きています。

細川浩司さん(屋久島ネイチャーガイド)

やっと冬の気配がしはじめた東京で、屋久島の細川さんから電話を受けたのは、11月末のことだった。「今年はもう仕事納めです。雪が降るので。」「屋久島に雪が降るんですか?」「緯度は低くても(ガイドするコースは)標高が高いですから。」「じぁ冬はお休み?」「いえ、農業を手伝っています。」「もう農閑期なのでは?」「屋久島ではこれから収穫が始まるんです。平地は結構暖かいですから。」笑いながら説明を繰り返すその語り口には親しみが溢れ、懐かしささえ感じさせる。「ぽんかん、たんかん、馬鈴薯の順に収穫が始まるんですよ。今年は地元の青年団で馬鈴薯を作ったので収穫がとても楽しみなんです。」フリーのガイドにこだわる細川さんはコースも登山やカヌースノーケリングなど、なるべく自然にやさしい方法を選んで設定している。「自然と共存していくのは僕のライフワーク。水は近くの沢から引いてきたのを使っているし、テレビはアンテナを立てても映りません。」「ガイドの仕事も結局自分の為にやっているんですよね。すごく良い経験をさせていもらってます。例えば、年配のお客様に、「もう屋久島に来ることは無いと思いますが・・・・、また来たいです。」とぼそっと言われたことがあるんですが、この時には、この仕事を選んでよかった、今日この人に逢えてよかった、と心底思いました。自然について教える立場の僕ですが、実際にはお客様に教えていただくことが多いんです。」春には24歳の誕生日を迎える細川さん。「将来?毎日山、海、川、星を眺めて、うまい空気を吸い、うまい水、うまい酒を飲んで生きていきたいです。あっ、これじゃ今と変わらないですね。あとは・・・・・、屋久島は嫁不足なので、嫁さんをもらったら屋久島一の愛妻家になろうかな・・・・。」いつか温かい家庭を築いたとき、きっと彼は、子供達ににも自然の大切さを説いていくことであろう。彼の子供達に・・・・・。そしてそれは、自然を守るためのみの営みであると同時に、人間の存在意義を守るための営みでもあるのではなかろうか。


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