ダンナと嫁さんの赤ちゃん
第二子目


移住奮闘記TOP


第二子出産のドキュメント





7月5日・7時58分に男の赤ちゃんを無事出産いたしました。

昼間は栗生を散歩して、その後いわさきホテルの公園も散歩したらさすがに足の付け根までつったように痛くなりました。大潮の翌日から微弱陣痛が不規則に始まり、4日もたったのでそろそろ産まれてほしいねと話していたら、夕ご飯を食べ終えた20時頃には10分刻みの微弱陣痛になりました。あいたた・・・と言った生理痛といったところでしょうか。まだまだ余裕ですが、10分間隔という事で病院に電話したところ、経産婦だから病院に来てくださいとのこと。そのことを告げると、ついに始まったかと嫁さんよりも周りのダンナや、ババチャンの方がバタバタし、うーちゃんはそれを見てなんだか興奮して走り回ってるし・・・。当の本人はまだまだとのんびり支度して、23時ごろ病院に到着。病院に着くと分娩室に入り、水玉の服に着替え、お腹に分娩監視装置をつけ陣痛の強さと間隔、赤ちゃんの心音を図りました。10分間隔で60ぐらいの陣痛が来てましたが、弱い陣痛が定期的に来てるね、とやさしく看護士さんに言われ、これは弱いのか・・・と痛みに耐えました。そう、うーちゃんの時も後半はパニックしそうなくらい痛かったから、まだまだかと内心びびり始めていました。夜中なのに先生が来てくれ、内診してくれたところ1センチしか子宮口が開いていないので帰ってもいいよ、と言われましたが、面倒なので入院しました。病室に簡易ベットを広げ、ダンナが寝てベットではうーちゃんとお母ちゃんが寝ることに。えっ、ババチャンは・・・車に寝に帰りました。日にちも変わり3時ごろ、陣痛が強くなり目が覚めました。10分間隔でまえよりせっぱつまった痛さがやってきました。ついに痛みでしんどくなってきたので 、また分娩室に移動です。ダンナと2人で2時間あまり、痛みがくるとさすったり押したりしてくれ、ここでまたうーちゃんを産んだ時のことを思い出しました。あの時は半日くらいさすってくれていたっけと。5時ごろ先生が来てくれ内診したところ、こんなに痛くてもまだ4センチほどしか子宮口が開いていないというので、まだまだだねと言われダンナの眠気もピークに。嫁さんもまだまだと言われ少し気が抜け、疲れきって痛いのに眠気におそわれました。ダンナとババチャンはバトンタッチし、寝ながら陣痛に苦しむ嫁さんの腰をさすってくれました。ババチャンすなわち嫁さんの母の手は、ダンナのごつごつした頼もしい手とは違い、厚みがあってあったかく柔らかいこれまた気持ちの良くて、落ち着くものでした。久々の母のぬくもりをこんな形で再確認するとは思ってもなかったのですが、おかげで痛いながらにもリラックスできました。しかも約1時間ほどで子宮口が全開になったのですが、ここまでの時間がすごく静かで落ち着いたものに感じました。うーちゃんの時は陣痛促進剤で1から陣痛をつけたのですが、まったくこういった静かなものはなかったです。ただただ苦しかった。ババチャンいわく痛みに合わせて気を送っていたそうですが、そのせいかあるとき急に出口にぐわっと圧力がかかりとっても自分じゃ止められない、出てしまうーと言った感じになりました。「出る、出るから看護士さん呼んで。」と頼みばばちゃんは看護士さんを探しに行きました。そしてだんなも呼んできてくれましたが、すでに呼吸も鳥が鳴くようなヒーヒーといった上ずった音を立て、出口にかかる圧力に必死に耐えるといった感じでした。先生が来た時はダンナもうーちゃんもババチャンもいて、おかあちゃんは鳥のようにヒーヒーいっていました。でも先生はさっき見たときはまだまだだったからなーといった感じで、あまり急いでいません。うーちゃんに話しかけています。そしてやっと見てくれたら「あら、もう全開だね。いきみたくなったらいきんでいいわよ。」とOKモード。やっぱりーと思いいつつ、いきむって何だかよく分からない?うーちゃんの時は先生にお腹を押され、押し出した感じだったので不安になった。そしたら「陣痛が来たらフーフーと痛み逃しの呼吸の後に、うーんといきむの。」と教えられトライ。ふーふーうーん!そしたらばばちゃんが「頭が見えたよ。」といった。先生が「これは羊水の入っている袋ですよ。」と言って突いてブチンと破いた。(これはちっとも痛くない)次の陣痛まで休んで、また陣痛が来た時、ふーふーうーん!出口が伸びて切れそうになっていくのが分かるけど、羊水の滑らかさをかりて産むんだとがんばる。頭が出たよ、といわれまた休憩。痛くて疲れてもうろうとしてくるが、うーちゃんが目の前で応援してくれる姿を見て、我を取り戻す。このときばばちゃんいわく、黒目が透けて焦点が定まってないようだったのこと。よく死にそうな人がそんな感じの目をしてると、やばいこといわれた。でも納得。
次の陣痛でふーふーうーん!おぎゃーおぎゃーとすぐに元気な産声が聞こえ、やっと終わったと安心しました。嬉しくて、嬉しくて幸せでした。今回は家族で産んだという感じでしたね。二度目の今回は剃毛、浣腸、会陰切開といった妊婦の不安ごとは一切なく、先生にお腹を押されることもなく、自然に産めた事がすごく嬉しく自信がついた。出口もチョコット避けたけど、ドーナツ座布団はいらなかったしあとが楽だった。ちなみに最後のころは分娩監視装置の指数は100を超えていました。これがホントの苦しい頃の数字なのだから、50ぐらいの痛みじゃ弱いと言われるわけです。


妊娠39週(10ヶ月)体重16キロ増のお腹

出産予定日もだいぶ近づいてきました。お腹もたまに張り出し、弱い陣痛(下痢の時、生理痛)のようなお腹の痛みがたまに起こるようになってきました。もうそろそろかな・・・・・?こんな状態になってきたら、妊婦は拭き掃除やウォーキングをすると赤ちゃんに刺激を与えるので、生まれやすくなると聞いたので、家の模様替え(引越しや大工に近い作業)、嫁さんよりダンナが大変です。カベ板を張ったり、ベッドを片付けたり、たまりにたまった埃を掃除したり、夕方には見違えるほど広くなって、いつ赤ちゃんが生まれても大丈夫です。屋久島は梅雨もあけたみたいなので、みんなで屋久島の栗生という集落を散策ウォーキング、珊瑚の石垣は沖縄を思わせるような素敵な小道が残されています。知る人ぞ知るといった失われつつある屋久島を見ることができました。陣痛らしき痛みも出てきたのでダンナはうーちゃんの時よりも張り切っているというか余裕を感じます。頼りにしてるよパパ。写真でお腹に貼っているのは、ビワの葉っぱ。薬効があるので細川家ではちょくちょく使われています。ビワの葉焼酎とかビワの葉温灸なんかに・・・・・。

妊娠34週(9ヶ月)体重13.5キロ増のお腹



赤ちゃんもお腹も順調に成長し、まだかまだかと待ちわびる日々を送っています。うーちゃんの時とは違い、腰が以上に痛みとんがったお腹をしています。今回は妊娠線やぼこぼこもできてしまい、夜はダンナにマッサージをお願いしている。痩せオイルやごま油などを塗りますが、肉が重いので辛そうにマッサージをしているダンナを見て早く痩せなければと思う今日この頃・・・・・。


ハロー外国人 妊娠34週(9ヶ月)体重13.5キロ増 赤ちゃん約2058g

お腹は順調に戻り、赤ちゃんも元気に動き回っています。うーちゃんの時より動きがよくて、ガツンガツン蹴ります。膀胱を蹴り下げられるとたまりません。内部的攻撃も激しくなってくる中、少しでも皆に見てもらおうと動くとダンナを呼びます。するととたんに動かなくなります。手を当てたり声をかけると止まってしまうのです。こいつは・・・シャイだな、そう予感するのでした。話はかわり嫁さんの体系についてです。ついにお腹の上に乳が乗り、腿の上に腹がのるようになってきました。もう肉ばさみで暑いやら、かゆいやら、醜いやら・・・。しかも腰が痛くてたいへんで、ご飯などはテーブルに椅子というスタイルに変えました。床にすわると動けなくなるので、困ったもんです。うーうーうなっていると、ダンナが腰痛クリームを塗ってくれます。これがスースーしてしばし痛みが和らぎます。唐辛子エキスが入っているので後であったかくもなりいいんです。そう腰痛はホカロンなど張ってもいいです。それで塗りやすいようにと四つんばいになり腰をだんなに向けました。そしたらズボンを下げてくれたダンナがワ〜って叫んだのです。なんか床ずれでもしてるのか、はたまた妊娠線でも出来たのかと「どうしたの?」と聞くと、「外国人みたいにでっかいケツだ、どうしちゃったの。」とまじめに聞かれた。気にしているのに・・・・まじめにムカついた嫁さんでした。


出血 妊娠22週(6ヶ月)体重9キロ増

初めの妊娠より急激に太り、お腹も大きい嫁さんはちょっと戸惑いながらも何とか暮らしてました。しかしうーちゃんはちっともお昼寝しないので、妊娠で眠い嫁さんはイライラしたり疲れたり・・・。確定申告もありあー大変だーといった時でした。ダンナのお友達がビワの畑を持っていて、1本自分達で袋かけて食べたら。と誘ってくれ食いしん坊な嫁さんは大喜び!!早速家族で出かけると初めての袋かけをしました。皆さん嫁さんのお腹を気にしてくれ、無理するなと気遣ってくれるもの、何だか張り切って結局夕方まで畑にいました。午後はほとんどボーとしてたんだけどね。しかし妊婦には手を上げる作業はいけないことらしく(知らなかった)何だかお腹が痛くなり、その夜ダンナの知り合いが不幸にあったと聞いたら、気分がふさぎこみそのまま何もする気がしなくなり寝てしまった。すると翌朝トイレに行くと、ちょっと血が出ていたのです。散々気遣ってくれたうえに、疲れたんじゃない奥さんと電話まで頂いた、お友達には申し訳なくて血が出ましたとは言えず、参ったネ〜と言った感じでした。うーちゃんの妊娠中は土地の開拓から、ジャガイモ堀、田植え稲刈りまでしたから余裕とたかをくくっていたが、血が出たにはビックリした。そしてひな祭り当日、病院に行き先生に大変だといわれ、入院するかと言われたが、親戚もいない細川家はうーちゃんのこともあり家で安静にすることになりました。ひな祭りのご馳走も作れず、不安と家族への申し訳なさの中ごめんね・・・というと、ダンナがご馳走をつくってくれた。そして2週間ほど仕事をなるべく入れないようにしてくれ、何とか切り抜けたのでした。近所の方もご飯持ってきてくれたり、うーちゃんを面倒見てくれ、なんとありがたかったことか。


3度目の検診 妊娠18週(5ヶ月)

体調もよくお腹もかなり目立つようになり、2度目の検診に行きました。毎回うーちゃんが診察室まで来てくれ、嫁さんを励ましてくれます。ダンナは何故か内診のところ(産婦人科特有の足を開いての診察台)には入れてもらえないのですが、うーちゃんはokです。今回はお腹の上からエコーを当てて見ましたが、前回は膣の中に棒状のエコーを入れて見ました。うーちゃんは「おか〜ちゃん大丈夫、痛くないね、がんばってね。」ととっても心配してくれます。そんなに痛くないけれどうれしい心配されて嬉しいものです。今回はお腹の上だったのでうーちゃんもちょっと安心しているようでした。赤ちゃんはちょうどムズムズ動きながらおしゃぶりしていていました。ちゃんと心臓も動き、たくましい腕と足もはっきりしていました。ちかごろ腸が動くような感じがするのは赤ちゃんが動いていたからなんだって。何だかこっちもムズムズしてきます。うーちゃんは看護婦さんに「お姉ちゃんだよ。」と宣言していました。ただ一つ気になったのはお腹がやけに大きく体重もやけに増えています。嫁さんは思い切って聞いてみました「先生実はやけにお腹が大きいのはもう臨月なんじゃ・・・。」すると先生は「赤ちゃんの大きさは普通の5ヶ月ですが、お母さんは以前の妊娠と比べると5キロ増ですね。」なーんだただの太りすぎでした、でもショック!!!

悪阻も治まり、お腹もだいぶ膨らんできました。一人目のときよりもお腹の膨らみ方が早いみたいです。そして体重の増え方も早いみたいです。
本当は検診に行かなければならないのですが、屋久島でもインフルエンザが流行中で学年閉鎖もあるほどなので病院や人ごみを避けています。
赤ちゃんは順調ならば10センチから15センチ位にはなっているはずです。もう胎盤も完成して羊水の中で動き回っているのでは?胎動も感じるようになりました。

お告げ 
嫁さんはお友達に妊娠を告げると彼女のダンナさんがこう言いきったそうです。「きっと男の子だ」彼は普段余りおしゃべりの方ではないのに、自信たっぷりに言い切ったもので彼の奥さんはビックリしたそうです。なぜかたまに勘の働くところは、海の男漁師だからかもしれません。でも確かにうーチャンの時とは違うことがあります。甘いのが好きだったのでお菓子やヨーグルトがおいしかったのに、今はしょっぱい漬物やトマト、サワーポメロが好き。これは楽しみになってきました、もし当たったらシャーマンとして彼を崇めなくては・・・。


身長約5センチから6センチ位 体重約10g

二度目の検査に行くと、エコーでは小さい人間となった赤ちゃんの姿を見ることができました。赤ちゃんの首にはヘソノオが巻きついていて、先生に「珍しいね」と言われました。よく動き回っているのかな・・・・。うーちゃんは大喜びで「赤ちゃんいたよ」と連呼していました。そんなうーちゃんを見た先生は「あなたを産む時、お父さんが頑張ったんだよ」と言ってくれました。とうちゃん良かったね。また今度も頑張ってね。

今嫁さんは、二度目のつわりで苦しんでいますが、何となく前よりも慣れている様子が伺えます。精神的なものが多いようで妊娠がわかったとたんにつわりが始まりました。お腹の赤ちゃんは細胞分裂を繰り返し、魚類から人間に変わろうとしているので母子ともに辛く苦しいのだそうです。

今回の妊娠まで嫁さんはうーちゃんに母乳を与え続けてきました。母乳を与え続けていると妊娠しにくいと言うので授乳をやめたとたんの妊娠でした。女性は不思議ですね。

2002年11月06日 妊娠発覚


推定妊娠6週ということでした。まだ心音は聞こえないのでまた1ヵ月ほどしたら再検査します。まだ人間の形はしていないのでエコーでは豆粒みたいに見えました。